どんぶらこ。

川を流れる文旦の日常。

まだ納得していない、小学校時代の思い出

こんにちは文旦です。

さて、今は実家に帰省しているのですが、親と話していて思い出した小学校時代の思い出話をひとつ。

 

 

小学校1~2年生の頃。ある男子がクラス全員の前で説教されていました。悪さをしたとかナントカで。その悪さ自体は大したことがなかった気がします、まったく覚えていません。じゃあなぜ先生にしつこく説教されていたか。それは悪さが先生に見つかったとき「逃げ出した」からでした。

 

誠実に謝らないで逃げ出したことで、先生はたいそう怒って長々と説教をしていました。怒るとこわい、ベテランの先生です。

 

私は、まあ先生の言わんとすることも分からんではないな、と気楽に聞いていたところ、急に先生が私を指して質問してきました。

 

「あなただったらどうする? 逃げ出す?」

 

私はどきりとしました。先生が言っていることは正しい。悪さをしてしまったときは、逃げ出さずに誠実に謝るべき。でも本当に自分にはそうする勇気はあるのか? 自分の中の恐怖心に負けて逃げ出してしまうこともあるのではないか? 先生に指された次の一瞬で、私の頭と心はぐるぐる回転しました。必死で、自分なりに誠実に考えて、見栄を張ることなく、意を決して答えました。

 

「そのときになってみないと分かりません」

 

先生は私を一瞥し、隣の席の女子を指しました。

「あなたならどうする?」

 

女子は逡巡する様子も見せず、顔色ひとつ変えずに即答しました。

「逃げません」

 

すると先生は再び私の方を向き、こう吐き捨てました。

 

「こういうときは、こう答えるのよ」

 

 

ふざけるな。

その先生は、一人の人間が自分に向き合って考えて出した結論より、顔色をうかがったおべんちゃらを持ち上げてみせたのです。何が「こういうときは」だ。お前の勝手な願望に応えてほしいだけじゃないのか。そんな答えに何の価値があるんだ。

 

もちろん、世の中をうまく渡っていくには顔色をうかがうことも時に必要なのも分かります。でも先生が、たかだか小学校1~2年の生徒に、それも必死で答えた生徒に投げつける言葉はそれで良いのか?

 

私は、自分が間違っていたとは思いません。

ときには逃げ出したくなる弱さも持っていることを認め、その弱さを抱えて、それでも前を向いて、生きていこうと思います。