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どんぶらこ。

川を流れる文旦の日常。ウクレレ始めました。

横向き親知らず、抜きました

こんばんは文旦です。
先日親知らずを抜きました。今回が初めてです。初めてなんで「抜歯ってこんなもんかー」と思ってたら、どうも結構な難工事だったみたいです。


まず歯の生え方が、真横から生えてます。まずこれだけでも厄介。
この場合、おおまかに以下のような工程になるらしいです。事前に説明を受けました。
(1)麻酔をする
(2)歯を割って、上半分(歯茎から出ている部分)を抜く
(3)歯茎を切開する
(4)下半分(歯茎に埋まっていた部分)を抜く
(5)縫合する
伝わりますかね。まあ厄介だってことだけ伝わってください。なんたって切開と縫合ですからね!人生初です!


まあ上記のことを説明を受けて納得して臨んだので、ある程度時間が掛かることは承知の上だったのですが、抜歯の最中に新事実が発覚したそうです。(後から説明があった)

【親知らずの凹凸が隣の歯の凹凸にガッチリはまっている】

これがどういうことかと言いますと、上記の工程の
(2)歯を割って上半分を抜く
が【割ったぐらいじゃ抜けない】に変わったそうなんです。

結果、割った部分を更にたくさん削る必要が出たらしく、施術中の先生、
削る→抜こうとする→抜けない→首をひねる→更に削る…
を延々と繰り返してらっしゃった。

で、こちら患者としては「割れば上半分は抜けるって話じゃなかったっけ?」と気楽に思っていました。知らぬが仏、だったのでしょうか。でも何が起きているか分からなくてちょっと不安。
しかも先生、抜こうとするたび「よいしょっ」って言うもんだから、再度削りがスタートするたび「抜けなかったのか…?」って更に不安。

後半になってくると先生が「よいしょっ」って言うたびに童話「大きなかぶ」を思い出していました。
うんとこしょ、どっこいしょ、それでも歯は抜けません。


そうしてしばらく経って私の顎も疲れてきた頃。口を開けっ放しにするのがきつくて休憩はさめないかなーとか無駄なことを考え出した頃。全てが終わりました。よかった。顎痛かったけどギリギリもってよかった。


スタートからちょうど1時間。長い戦いでした。
この「1時間」って長さ、周囲の人に話すと例外なく「うわー」って顔されてます。なんなら「うわー」言われてます。どうも一般的には長い戦いだったのだと、このときに知りました。



その後も(切開があったので)消毒や抜糸のために通院したり、厄介な親知らずでした。

まあ抜歯のとき以外は、痛みも想定の範囲内だし、鎮痛剤も効くし、腫れは大したことないし、術後の経過は良好だし、で安心しているんですが……
今度また反対側にある横向きの親知らずを抜くので、ちょっと気が重いです。

小説を読んでるとき

つれづれ

こんばんは文旦です。
最近小説を読むことが多い。というか前に書いた通り村上春樹の「1Q84」を読み返しています。


騎士団長殺しに手が出せていない - どんぶらこ。


で、この本を読んでいるときに気づいたのですが、いい感じに本に集中してのめり込んでいると、【その物語が本当にどこかで起こっているような不思議な感覚】がやってきます。物語、出来事、登場人物の半生、葛藤、そういったものが現実感を持っている気がするのです。

もちろん小説は誰か(作家)が作り上げた世界です。しかし私には、文章からその【誰か】の存在を感じられないのです。ブログやエッセイはもちろん、漫画や専門書では漠然と【筆者の存在】を感じるのですが、一部の小説ではそれがないんです。なぜだか。

ということで理由が何なのか、考えてみました。

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登場人物が一人ひとり別の存在として描かれているからか?
筆者自身のことを書いていないから? いやそれならば私小説は?
文章が上手いから?
これらも影響は持っているでしょうが、違います。違うというか、これば【小説のこと】です。私はこれを、受け手である【自分自身のこと】として考える必要があります。

自分自身のこととして考えるとどうなるか。自分がどう読んでいるときに、筆者の存在を感じなくなるのか。
【全体のストーリーよりも、各登場人物に共感し(ようとし)ているとき】ではないだろうか?
現実においては個々の出来事を俯瞰することが少ないです。というか私は俯瞰が苦手です。なので、それぞれの人物や人の動きの断片から日常生活での人間関係や出来事が出来上がっています。その断片から出来事を組み立てるのは少し大変です。
だから現実と同じように、人物の動きからストーリーが何とかかんとか浮かび上がってくると、自分は現実のように感じてしまう。



たぶんこれだ。ストーリを俯瞰した描き方(読者が全体を俯瞰しやすい描き方)をされると、そのストーリーを生み出した筆者に意識がいく。しかし全容が掴めていない登場人物の視点から描かれると【全てを把握している筆者の存在】を感じない。

ただよく考えてみると、前者のような小説はどれほどあるでしょうか。 小説の技法には明るくないが、主人公という存在があるように、特定の人物の視点から、人物たちの動きで物語が進んでいくことが多いように感じます。
では、問題は【自分が俯瞰していると感じるか】となります。

そうなるとこれは【自分にとっての分かりやすさ】の問題です。人物たちの動きから全体のストーリーが見えやすいとき、見えにくいときの違い。見えにくいときの方が、全容の分からないまま動く人物に共感しやすい。そしてそれは現実での出来事の捉え方に近い。
ただ(私にとって)あまりに分かりにくい書き方をされると、単に「訳が分からない」としか感じられなくなってしまい、現実感とはまったく別のものになってしまいます。

だからきっと、私は【自分にとって適度に分かりにくい小説】に対して、虚構っぽさを感じないでいる、現実感を感じているのだと思います。

そしてここまで考えてみて、これは【感じ方の問題】であって好き嫌いとは全く別の感覚だなあとも思いました。

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あーーやっとすっきりした。
どうも自分は文にして考えるのが向いているみたいです。しかし頭を使うのは疲れますね。

球児の仕草が好きだ

つれづれ

こんばんは文旦です。
高校球児の仕草が好きです。仕草っていうか動作?振る舞い?何にしろそういったやつです。
私が文化部出身だからですかね、もういろいろ新鮮で。

そういう目線でも甲子園を楽しめる時期がまたやってきました。
私って捻くれてるかもしれない。と思いつつも、お気に入りの仕草は以下の通りです。


(1)打席で雄叫び
打席に入ってまず、第1球の前に雄叫ぶ。あのときのやたら力の入った表情も含めて、いい。
特に1回表の第1打者、サイレンが鳴っている中叫ぶのがたまりません。


(2)ファインプレーで嬉しそう
鍛え上げられたプレー、堂々とした振る舞い、とても高校生とは思えない立派さを見せる彼らが、ファインプレーのときに見せる綻んだ表情もいい。鋭い打球をキャッチしたと、き逆転タイムリーを打ったときの「ああやっぱり若いんだな」と感じられる素直で嬉しそうな顔にほっとします。


(3)終盤での悲壮な応援
8回あたりから、負けているチームのベンチからの応援が悲壮。もうほんと悲壮。
みんな前に乗り出して叫んでる。中には目をつぶって叫んで、泣きそうにすら見える表情の球児も。胸が締め付けられます。特に夏は【負けたら引退】という状況ですからいっそうやばい。


(4)試合終了、起き上がれない打者
9回裏2アウトでビハインド、ここで打たなきゃ負ける。そこで打つも打球はゴロ。最後まで望みを捨てずに1塁ベースめがけてスライディングするもあえなくアウト。
そこでもうスライディングから起き上がれない姿を見るともう、たまらなくなります。チームメイトに起こされて走り出すと、心の底からほっとします。



こういうところに注目し出すと段々人間ドラマにも見えてきて楽しくなってくる、かも!

いつの間にか始まってない?

日常

先日テレビで観た、ブルゾンちえみのネタがツボってます。

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恋したい気持ちはあるけど、恋の始め方が分からないって?
ダメウーマン!

ヤマザキ春のパン祭りがいつ始まるか知ってる?


……いつの間にか始まってない!?

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こういうの大好きです。


いやーにしてもあれは面白かった、素晴らしい… って事あるごとに思い出しつつ過ごしてたら、本当に【いつの間にか】ヤマザキ春のパン祭りが始まっていてまた笑う。


いやーあれは真理だなすげーわ、本当にいつの間にか始まってた… って過ごしてたら、今度は春の甲子園まで【いつの間にか】始まってました。

マジかよ、センバツ入場行進は星野源の恋だってニュースやってたばっかりじゃん。あの行進少し楽しみにしてたのに、いつの間にか試合まで始まってたよ。
今まさに試合を観ながら書いてます。高岡商業がタイムリーを打ったところ。



いつの間にか起こってることって、今までなら
「あ、もうやってたのか、そっかー」
程度にスルーしてましたが、ブルゾンちえみのおかげで

「まじか、これも【いつの間にか】なのか!!」

って新鮮な驚きをもって感じられています。
ブルゾンちえみによって日常が少し変わった。すごい。

ストローク始めました

こんばんは文旦です。ウクレレは無事続いてます。
島人ぬ宝に苦戦してウクレレが再びインテリアになりかねない… と書きましたが、そのルートは回避できました。島人ぬ宝は練習中ですが、暗譜して通すことはできるようになりました。いえい!


で、そろそろコードだけじゃなくストロークも練習せねばなと、思い立ちまして。なんたって最終目標は「風になる」ですからね。
ちょっと待てそれじゃあ今までどう弾いてたんだ、というと親指でポロロンと弾いてました。これだと4拍子は刻めますが、8ビートになると不可能なのでストロークの技術が必要な訳です。
8ビートはあれです。ギターでよくある「ジャン ジャジャン ジャジャジャ」ってやつです。伝わってください。


で、参考にしたのがこちらの動画。


初心者向けウクレレ動画レッスン - ストロークのフォームとやり方 - YouTube

ふむ、なるほど……
・右手は肘から大きく動かす
・弧を描くように
・12フレットのあたりを弾く
・4本の弦を1本だと思って一気に
・腕の振り幅を大きく
・一定のリズムで

なんて一気にできるか!!!
とパニクりながら練習して、ちょこちょこそれっぽく弾けたり、弾けなかったり。簡単そうで簡単にはできませんが、今のところは光明が少し見えただけでも良しとしましょう。


とはいえこのストロークと左手の運指が同時にできる気はしないので、Amazonでストラップをポチりました。早く届かなかいかな。